闘病ブログを書くという選択——発信することの意味

闘病ブログを書くという選択——発信することの意味 体験談

このブログを始めたきっかけは、入院しているときに周りから勧められたことだった。特に大きな決意があったわけじゃない。身の回りの人への状況報告や回復報告、くらいの感覚で始めたから、個人情報を公開することへの抵抗もほとんどなかった。書き始めてみると、自分の気持ちの整理にもなったし、記事にするために色々調べることで、自分自身の勉強にもなった。応援のコメントはもちろん、同じ立場の人やその家族からの反応が印象に残っている。今日は、発信することの意味について、改めて考えてみたい。

きっかけは「周りへの状況報告」だった

ブログを始めた経緯は、実はそんなに立派なものじゃない。入院中、周りの人にすすめられて、なんとなく始めたのがきっかけだった。身の回りの人への状況報告、回復報告として書く、と割り切っていたから、変に身構えることもなかった。「発信する」というより「報告する」という感覚に近かったのが、結果的にハードルを下げてくれていたんだと思う。

書くことで気持ちが整理されていく——表現的筆記の効果

調べてみると、闘病経験を文章にすることには、心理学的にも効果があるとされているらしい。ストレスの多い体験について一定期間書き続ける「表現的筆記」という手法があり、これによって身体的な不調や精神的なつらさが軽減されたり、生活の質(QOL)が改善したりすることが報告されているという。

俺自身、ブログを書きながら「自分の気持ちの整理になった」と感じてきたのは、まさにこの効果だったのかもしれない。記事にするために調べ物をすることも、自分の病気を客観的に理解する良い機会になっている。

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「2.5人称の距離感」が生む安心感

闘病ブログには、家族や親しい友人ほど近くはないけど、まったくの他人でもない、「2.5人称の距離感」とでも言うべき独特の距離感があるらしい。この距離感だからこそ、書く側も読む側も、お互いに勇気づけられる部分があるという。「一人じゃない」という感覚や、目に見えない「人とのつながり」が、生きていくための原動力になる、という指摘もあった。

これは、当事者会やネットコミュニティで感じてきたこととも通じる感覚だと思う。近すぎず遠すぎない距離感だからこそ、話せること、伝えられることがある。

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読者からの反応で気づいたこと

ブログを続けてきて印象に残っているのは、応援のコメントはもちろんだけど、それ以上に、同じ立場の人やその家族からの反応だ。自分が発信した内容が、見ず知らずの誰かの実生活に届いているという実感は、書き始めた当初は想像していなかったものだった。

親や家族が脳梗塞になったら——家族としてできること
家族が脳梗塞になったら、何をすればいいのか。急性期から退院後まで、家族としてできることを当事者の視点から解説。「何でもしてあげること」が正解ではないことも伝えます。

マイペースに続けるということ

正直、書き続けること自体は簡単じゃない。ネタを考えたり、体験や調べたことを言葉にしたりする作業には、それなりの労力がかかる。それでも今まで続けてこられたのは、無理に更新頻度を上げようとせず、マイペースに発信することを大事にしてきたからだと思う。義務感で書くと続かないけど、自分のペースでやれる範囲でやる、というスタンスがちょうどよかった。

まとめ

闘病ブログを書くというのは、特別な覚悟がなくても始められるものだと思う。俺自身、周りへの報告というつもりで始めたことが、結果的に自分の気持ちの整理になり、同じ立場の人とのつながりにもなった。

自分の体験や考えが、誰かの役に立てば嬉しい。それが、このブログを続けている一番の理由だ。


著者:のぞむ(脳梗塞・心不全・糖尿病の当事者)
自分の闘病経験が、誰かの「まさか自分が」を防ぐヒントになれば、このブログを書く意味があると思っています。
※この記事は当事者の体験と公開情報をもとに作成しています。医療上の判断は必ず医師にご相談ください。

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