第7話|後遺症と、その後の話

第7話|後遺症と、その後の話 体験談

退院してから、生活は一変した。

よい意味で。

朝一番で血圧を測る。暇があれば筋トレをする。食事のカロリーを気にする。道路の段差や凸凹が気になる。ワイン一杯で酔っ払う。コンビニで売っているものの種類に驚く。

入院前には全く意識しなかったことが、見えるようになっていた。

完全にタバコをやめた。以前より健康的な体になっている気がした。


3月から時短勤務で仕事に復帰した。

最初はきつかった。パソコンの画面を長時間見続けると目眩がする。満員電車は体力的にも精神的にも消耗する。人混みの中を歩くのはまだ難しかった。

でも、少しずつ体が慣れていった。

帰りの電車で1〜2駅手前で降りて、家まで歩くのが習慣になった。あまり降りない駅でも降りて、散歩がてら歩く。色々な発見があって楽しかった。


後遺症は残っていた。

右顔面と左半身の麻痺。複視(物が二重に見える)。平衡感覚の障害。

麻痺といっても動かせないわけではない。温度と痛みを感じる神経が鈍くなっている状態だ。激しい運動や強い光、人混みは今も苦手だ。パトカーや救急車のランプを直視すると強烈な目眩が起きる。だからサングラスか帽子を常備するようになった。

でも、少しずつ回復していった。

退院から数ヶ月後、台所で洗い物をしていたら、左手で水の冷たさがなんとなくわかるようになっていた。しびれが走った後に神経が回復する、ということを体で知った。

冬になって、久しぶりにコートを着た。寒さを感じられることが、嬉しかった。


退院から半年後、一つ目標を達成した。

山手線を歩いて一周した。

約43キロ、12時間。60671歩。

なぜそんなことをしたかというと、元気になったことを何らかの形で証明したかったからだ。あとは夏の思い出づくりとノリで。

途中で道に迷い、足の筋肉痛と靴擦れがひどく、リュックのベルトが突然切れた。心が折れそうになって、一度タクシーに乗った。それでも最後まで歩いた。

ゴールした時の感覚は、達成感でも感動でもなかった。

「もう歩かなくていい」という開放感だけだった。

またやりたいかと聞かれたら、二度とやりたくないと答える。


発症から1年が経った日、ブログにこう書いた。

「この日を第二の誕生日と思ってこれからも生きていこうと思います」

今でもふとした瞬間に、あの夜のことを思い出す。

脱衣所で倒れた瞬間の感覚。救急車のサイレンの音。蛍光灯の眩しさ。担架の揺れ。

病気になったことを悔やんでも仕方ない。後遺症がよくなるわけでもない。

それより今こうやって生きていることを喜びたい。色んな人に出会えたことを喜びたい。人の優しさに触れられたことを喜びたい。


あれから十数年が経つ。

後遺症とは今も付き合い続けている。完治はしていない。おそらく一生この状態で生きていくのだろうという覚悟は、もうできている。

でも、こうやってブログを書いている。フリーランスとして仕事をしている。生きている。

脳梗塞になってわかったことがある。

行きたいと思う場所があって、会いたいと思う人がいれば、何処へでも行ける。

当たり前のことが、当たり前じゃなかった日々があったから、今の当たり前が愛おしい。

そういうことだと思っている。

著者:のぞむ(脳梗塞・心不全・糖尿病の当事者)
自分の闘病経験が、誰かの「まさか自分が」を防ぐヒントになれば、このブログを書く意味があると思っています。
※この記事は当事者の体験と公開情報をもとに作成しています。医療上の判断は必ず医師にご相談ください。

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